天才レフティー・名波浩を検証する☆彡
簡単な経歴
1995年にジュビロ磐田に加入しプロデビュー。開幕戦でスタメンに抜てきされ、そのままレギュラーに。同年には日本代表に初選出され、代表デビュー戦ではいきなり得点をマークし、ゲームを組み立てる能力を高く評価され代表にも定着。背番号10番を背負った。'98W杯予選では韓国戦でゴールするなど出場権獲得に貢献。W杯本大会でも厳しいプレスに悩まされる中、ゲームを組み立てた。99年に念願の海外移籍(セリエA)を果たす。その後再び帰国しジュビロ磐田に再加入。2000年のアジアカップではキャプテンとして若い選手達を統率し、優勝に貢献。大会MVPにも選出された。残念ながら怪我の影響で'02W杯には出場できなかったが、現在もジュビロの中心選手として円熟味あるプレーで活躍。
プレイヤーデーター
(所属チーム)
藤枝市立西益津中学⇒清水商業高校⇒順天堂大学⇒ジュビロ磐田⇒ACベネチア(セリエA)⇒ジュビロ磐田
(出場記録〜05年終了時点〜)
日本代表 | 68試合9得点 |
Jリーグ | 278試合32得点 |
ナビスコ杯 | 40試合1得点 |
天皇杯 | 18試合2得点 |
セリエA | 24試合1得点 |
イタリア杯 | 7試合1得点 |
獲得タイトルデータ
1988 | 全国高校選手権優勝 |
1989 | 高校総体優勝 |
全日本ユース選手権優勝 | |
1990 | 高校総体優勝 |
全日本ユース選手権優勝 | |
1993 | 総理大臣杯優勝 |
1996 | ベストイレブン受賞 |
1997 | 東海チャンピオンシップ優勝 |
セカンドステージ優勝 | |
チャンピオンシップ優勝 | |
ベストイレブン受賞 | |
1998 | ナビスコカップ優勝 |
ファーストステージ優勝 | |
ベストイレブン受賞 | |
1999 | 第18回アジアクラブ選手権優勝 |
ファーストステージ優勝 | |
アジアサッカー連盟'98年間ベストイレブン受賞 | |
2000 | アジアカップ優勝 |
アジアカップベストイレブン受賞 | |
アジアカップMVP受賞 | |
2001 | ファーストステージ優勝 |
2002 | ファーストステージ優勝 |
セカンドステージ優勝 | |
ベストイレブン受賞 | |
2003 | 天皇杯優勝 |
名波のサカマガでのインタビュー(ちょっと古いかもしれんが・・・・)
名波浩の名言
『サッカーを楽しむ』それが僕の永遠のテーマだ。
僕が考えるサッカーの魅力は、ボールを持っていない時にある。
Again〜背番号10〜
プラティニ、ジーコ、マラドーナ、バッジォ・・・・・・
彼らの背中には背番号10がある。 彼らは、チームの心臓として絶対的なゲームメーカーとして活躍した。 そもそも「背番号10=ゲームメーカー」と捉えられるようになったのは、 マラドーナの活躍によるものである。
マラドーナと言えばドリブルのスペシャリスト。彼にあこがれ、真似をし、プロになった選手は少なくない。しかし、90年代後半になると、背番号10が持つ意味合いが変わって来ている。
それまでは「ゲームメーカー」と呼ばれ、中盤の中心として君臨する選手が付けていたものだが、近年はFWに近い選手、またはFWの選手が付けることが多くなった。例をあげれば、デルピエロ、トッティ、リバウド、ジダン、オーウェンなどである。彼らに共通するのは、皆高い得点能力を持つと言うこと。さらに、決定的なチャンスも見方に供給できる。それはファンタジスタと呼ばれるプレーなのだ。
日本ではどうだろう?
これまで、10番を付けた選手は数多く存在する。その中でも、木村和司、ラモス瑠偉は代表的な選手だ。 両氏ともゲームメーカーという存在であり、存在感も際立っていた。ラモスが去った後、代表の10番のユニフォームはしばらく迷走していた。
岩本、磯貝、藤田…と渡り歩いたが、相棒を見つけるまでには、それほど時間はかからなかった。名波浩の登場である。名波は代表デビュー時は14番だったが、代表数試合目のある日、14番のユニフォームを探していると、そのユニフォームには「OKANO」と書かれており、自分の背番号は10番になっていたというのは有名な話だ。
「名波浩=10番」が定着したのは、96年のキリンカップである。
このキリンカップで名波は2列目の左サイドに入った。左サイドバックの相馬とのコンビネーション、サイドチェンジ、 スルーパスなど、すべてが絶妙のタイミングから繰り出され、 それが正確だった。このキリンカップで、名波は代表に不可欠な存在になり、そして、10番は彼のものになった。
96年アトランタオリンピックの終了後、前園が代表に定着することになる。当時の代表監督、加茂は前園を2列目で起用させたかった。しかし、名波とポジションがかぶってしまうことになる。加茂は悩みぬいた末、名波のボランチ起用を決断した。
名波は攻撃的な位置でプレーをしたかった。ボランチを任命された時、名波は「やりたくない」と思ったらしいが、ボランチは彼の天職だった。実際にベネチア在籍時にはボランチでのプレーが一番安定し、力を発揮していた。
彼がボランチをすることにより、前を向いてプレーする機会が増え、彼の状況判断が生き、正確なロングパスも冴える。
名波は、これまで10番を付けてきた選手の中でも、最も多くのポジションをこなした選手のうちの一人と言える。第2列、ボランチ、アウトサイドなど中盤であれば、ほぼすべてのポジションをこなし、JリーグではサイドバックやFWまでも経験している。
時代に沿った10番ではないが、間違い無く日本が誇れる10番である。現在は、10番は中村俊輔がつけている。しかし、2006年ワールドカップも10番をつけた名波浩がピッチに立っていることを望んでいる。